実行委員、そして実行委員になりたい人へ向けて
理想の文化祭を実現するためには、まず実行委員という集団の最大限の努力が必要になる。ここでは、そのために僕が実行委員に果たして欲しいことを挙げておきたい。
まず、実行委員はこれから生徒全体、そして学校外部の人達の関心を文化祭に向けさせて欲しい。そのためには文化祭の広報誌である「祭報」などによる情報公開や、地道な宣伝活動を活発にしていかなければならない。特に、情報公開はやる側からすれば時間や労力がかかるためおろそかにしてしまいがちだが、逆にこれから文化祭に参加しようという生徒の立場から考えると、情報公開がなければ文化祭を作る過程や現状を知ることは不可能であり、結局何も興味を持たなくなってしまう恐れがある。生徒の文化祭への認識を高めるためにも、文化祭の中身の充実とその公開は、常に並行して行わなければならない。
そして正・副組長をはじめ、実行委員はこれから企画の議論や実務を進めていくわけだが、その前に自分たちが取り掛かる活動の持つ役割をもう一度見つめ直して欲しい。今置かれている組合や活動は、単に「去年やったから」存在しているというようなものではない。実際男く祭の中には、例年繰り返して行われてきたためにやることが当然のように考えられている活動が多い。
例えば、市民会館で行われる講演は例年著名人を招いて行われている。市民会館の中でも目玉のプログラムになっているがその必要性に疑問を抱く者も少なからずいた。そこで今年は比較的早い時期に、講演をやりたいという有志を集めて講演組合を立ち上げ、講演をすることの意義や講演者について検討した。講演者に関しては時間などの都合上曖昧な結果に終わったが、意義に関しては結論を出すことができたので僕の考えを交えてここに載せておきたい。
「なぜ講演をやるのか」…それは講演が附設生の視野を広げられる最大の機会だからである。高校生は日常における活動範囲が狭く、平日は家にいる時間と学校にいる時間が一日のほとんどを占めているので、日常において自分の知らない「世界」に触れる機会は少ない。まして附設生はなおさらである。だから、文化祭という非日常的空間の中に「講演」という機会を設けて、生徒に普段得られない刺激や興味を与え、視野を広げさせるのである。文化祭の意義との関連でいうと、この「視野を広げる」という点においても、附設生は文化祭で「得る」ものがある。だから、講演は文化祭に必要なのである。
ここで、本題に戻ろう。この講演のように組合全体で意義を確かめる時間はあまりないと思うが、必ず実行委員それぞれが「なぜこの組合が存在するのか」「なぜ文化祭でこういうことをするのか」という問い掛けをし、そして自分がこれからどういうことをしなければならないのか、どういうことをしたいのかを考えて欲しい。そうすれば、自ずと自分達の目標が見えてくるだろうし、同時にイメージも湧いて楽しみや期待感も膨らんでくるだろう。何も、過去の先例にとらわれる必要はない。問題は今、自分たちが何をやりたいかである。文化祭当日の様子を思い浮かべて、自分たちがこれからどういうことができるかを考えて欲しい。
さて、初めに述べたように、文化祭の根幹をなすのは話し合いである。全体定例会や各役員会、各組合の話し合いがこれから続いていくわけだが、話し合いの中では積極的に自分の意見を言うように心がけて欲しい。小さなアイデアでも口に出せば、それを聞いた誰かが何か思いついたりすることだってある。疑問、反論、不満、提案などがあればとにかくそれを言って、自分の意思表示をして欲しい。最後まで何も言わないままでは話し合いにただ「いる」だけで、「参加」しているとは言えない。無為にただ時間を過ごしているだけでは話し合いは全く面白くないと思う。だから、自分の意見を言って話し合いを活かして欲しい。また、実行委員に加わっていない生徒、あるいは来祭者から見て実行委員の自己満足に映る文化祭を創らないためにも、話し合いではしっかりと議論したい。あるいはアンケートなどを通して「外」からの意見を取り入れ、話し合いの場で提起することも必要になってくるだろう。
結局、話し合いとは何なのだろう。僕は、それぞれが文化祭への意気込み、思い入れを表現する場であると思う。今後話し合いはどんどん続いていくが、自分の思いを文化祭にぶつけることを忘れないで欲しい。
これから実際に文化祭を創造していく過程が始まり、勉強など個人の時間も削られていくことだってあると思うが、それでもやはり文化祭に打ち込むことは大切なことだと思う。祭が終わったあとの充実感や達成感を全員で共有するためにも、日頃の地道な活動を継続していきたい。