男く祭、文化祭とは何か
僕はこれまでに何度か福岡県内の高校の文化祭を見に行ったが、行く度に他校の文化祭と男く祭との違いを意識させられた。その中で最も鮮明だったのが、文化祭の中心的役割を文化部や各クラスによる展示・発表が果たしていたことである。思えば、附設には書道・華道・写真・茶道・吹奏楽部などといった他校には多く見られる文化部がなく、一見文化というものへの意識が低いようである。それでは、この約30年間男く祭は本当に「文化」祭として成り立っていたのだろうか。「文化」という言葉の意味を履き違えていたのだろうか。
そこで、「文化」という言葉について注目したい。僕達は「文化」という言葉を聞くと、絵画や音楽といった芸術や文学を連想する。だが辞書によると、本来「文化」とは、「人間の活動様式やそれによって創り出されたもの」のことを指すのである。したがって、芸術に代表される精神文化を含め、あらゆる人間の行為を「文化」という言葉で表現することができる。
それでは、男く祭と「文化」のつながりについて考えてみよう。一般的に「文化」的要素が濃いとされる展示・講演・コーラス・装飾を含め、広報・渉外・パンフ・イベントといった男く祭に関わる全ての活動は「文化的」だと言えるのではなかろうか。やはり、男く祭は「文化祭」なのである。そして、僕はこの男く祭は3つの文化的要素がそれぞれ融合したものだと考えている。
- 祭的要素…バザー,各種イベント,ライブなど
- 精神文化的要素…展示,講演,文集,コーラスなど
- その他の文化的要素…渉外,パンフ,PR,広報,環境,備品など
先に述べたように、精神文化的な要素が男く祭に占める割合は他校に比べて少ないという事実は否定できない。したがって、何らかの形でこの分野に取り組む必要性は十分にあるが、同時にその不足分を他の要素で補うことも考えていきたい。そうすれば、より広範囲な文化的活動を可能にし、より多くの人々をこの文化祭に巻き込むことができる。
そして、それぞれの「場」でそれぞれの持っている力が発揮されれば、文化祭も自ずと素晴らしいものになるだろう。そのためには、どれだけ独自性のあるアイデア・企画を出し、どれだけ個人の力を引き出していくかということを常に頭に入れておかなければならない。